志村ふくみ展_姫路市立美術館

志村ふくみ展行ってきました。画像はネットの拾い画像です。
自分が良いと思った作品、ベスト3をあげていこう。

1.波羅(はら)‗1997
残念ながら、こいつの画像はネットに転がっていなかった。全体的に明るい薄黄色で、下側に薄青や濃いめの黄のラインが入っていた。穏やかな水面の上に光があって、それが優しく包み込んでくれるような

2.朝顔_2001
雲海に包まれる果てしない山々
輝くような白地に、上下で薄い緑のライン濃い緑のラインが入り、山々が雲海に包まれている様だ。どこまでも果て無く雲が広がっている。裾は濃い緑

朝顔 2001

3.杜若(絣)_カキツバタ(カスリ)_1993
川辺に咲いている優し気な花々
淡い紫色(薄いブドウ色)地に矢羽のラインが入っている。ラインは縦。下側を見ると流れる水の様に白と水色が入っている。このラインのせいか川辺に咲いている花達を観ている印象を受けた。

どれも優しく華やいだ服だ。いいな、植物でこんな色を出せるのか…非常に良いな。
この作品群は2020/8/30まで姫路市立美術館で観れます。
機会があれば是非とも。これ以外にも色んな色がありました。私のお気に入りは上記の三つですがあなたのお気に入りがあるかもしれません


姫路市立美術館
〒670-0012 兵庫県姫路市本町68−25
電話: 079-222-2288
https://www.city.himeji.lg.jp/art/

書写の里・美術工芸館、鑑賞記

姫路市のはずれにある、書写の里・美術工芸館に行ってきました。興味のある方は、この記事の末尾に位置情報とかHPのリンクを貼っておきますので是非とも行ってみてください。

全体として行って非常に良かったです。機会があればまた行きたいものです。
まあ、それよりもまずは展示作品の紹介に移った方が良いですね。

泥仏 東大寺長老:清水公照

こんな感じの仏像が何十体も並んでいました。サイズは人形程度。
ぱっと見の印象は
手がひょろっと長く棒状
フォルムが記号的(漫画っぽい)
丸っとして柔らか
仏像によくみられる厳かさはない。
これは、清水公照が考える仏の姿なのかもしれない。
仏とは、柔和で優しく親しみやすいものだと。けして、人を排除しようとせずこちらから歩み寄りたくなるような存在なのだと。


雲流文紅箋御紙

階段の踊り場に飾ってあった布?「雲流文紅箋御紙」
撮影禁止だったのでググって近いイメージの画像を持ってきました。

  • 紅い!ひたすら紅い!
  • 鱗の描写が精緻
  • 中心の円から、金色に光る何かが放射されている

これは、太陽の光が噴き出て龍となり何かを祝福している様子なのかな。太陽の持つ力強さを感じた。

「芭蕉葉香盆」
でかい、本当にでかい葉を木で作っていた。
木のうろが調度、植物が枯れている姿にみえる
葉のひだまで精緻に表現されている
よく見ると小さな変えるが乗っている

蛙がいることで、自然の中で芭蕉の葉を引いているような気分になる。
”盆”とあるのでココには何かが上に載って給していたのだろう。
これに乗せるとしたらバナナか、マンゴーか…きっと果物をどんと乗せたのかな。
楽しいお食事会になりそうだ。

姫路市書写の里・美術工芸館
〒671-2201 姫路市書写1223番地
電話 079-267-0301 ファックス 079-267-0304

【HP】
https://www.city.himeji.lg.jp/kougei/

【観覧料】
一人~19人:一般310円 大学・高校生 210円 中学・小学生 50円 
20人以上の団体:一般250円 大学・高校生 160円 中学・小学生 40円

【営業時間】
開館時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:月曜日(休日を除く)、休日の翌日(土曜・日曜、休日を除く)

【アクセス】
姫路駅より神姫バス「書写山ロープウェイ」行きで終点下車、徒歩3分

実家生活でのミニマリズム

親にモノを捨ててもらうのは単純に大変ですね。

一人暮らしでミニマリズムに目覚めて、どんどん不要なモノを捨てていき、スッキリしたミニマルな空間を手に入れました。しかし…実家住まいに戻るとそうもいかなくなりました。

親が信じられないぐらいにモノを捨てられない。昔、私の部屋に勝手に入って勝手に掃除した人間とは思えないぐらいに部屋が無駄なものであふれています。
どう考えても使う事のないホコリのかぶったホームベーカリー。十数本はあるボールペン。四本ある温度計。3つある爪切り。数十本はある鉛筆。二度と着ないであろうタンスに詰まった衣服。

親は親、自分は自分と2年くらいして割り切りって考えられるようになってきました。しかし、事はそれだけでは終わりませんでした。親が信じられないくらい探し物があるのです。
ペンスタンドに3本はある、修正液を探して寝ている私を起こしたり、毎朝の様にあれがないこれがないと探し回っていたり、書類でぐちゃぐちゃの引き出しをあれはどこだと探しています。
それが自己完結しているなら良いのですが、私の行動にも影響しだしているので本気で困っています。
小学生のころ、モノがみつからず親に「探し方が悪い」と怒られて見つけ出してもらいました。今になって思います、それは探し方の問題ではなく、モノの絶対量があまりにも多すぎるから見つけにくくなっているのだと。

それとは矛盾した話なんですが、私の部屋のスッキリした状態を感心してくれます。そして、もっと捨てるものがあるだろうと急に入ってくることもあるのです。
ただ、私の部屋にある捨てたらいいもの候補が、自分の思い出の品だったり、使わなくなった高めのもの、大きなものになると途端に捨てるのはダメだと後ろ向きに。大きなものを捨てようとすると「こっちのテリトリーまで入ってこないで」と怒るしまつです。

私の気持ちとしては、親に無駄な思考をしない為に、整理整頓して欲しいです。
道徳心とかじゃなくて、親が論理的だと色んな事が楽になったり、こちらの言う事を素早く理解してくれるからです。

Impression about “The Insult”

2019/9/6
姫路シネマクラブ例会にて「判決、二つの希望」を鑑賞してきました。
ネタバレのある感想を書いていきます。

感想は「原初の世界は、静かで優しい、そこに他の世界が交わると破壊的になる。」です。

【あらすじ】
この映画の主人公はわかりませんが、二人の人物が中心になって話が進みます。
アパートの住民と、近所の工事の現場監督。最初はただそれだけの関係だったのが、工事を巡って口論になり、ついには暴力沙汰になって、しまいには国全体を揺るがす大事件に発展していきます。

【制御不能になる争い】
事件自体のきっかけは、些細な口論ですが話の規模が大きくなるにつれて、こちらの正当性を主張するのに相手の過去を暴いたり、自分が政治的に極端な考えをもっていると判断されてしまったりと、争いの中心となる二人でさえ戸惑ってうようなことになります。

【冷静になりつつある当事者】
相手の過去を暴露しようと提案する弁護士に「それはやりすぎじゃないのか?」と躊躇する場面や「自分にもいけないところがあった」と譲歩する場面がありますが、事態が大きくなりすぎていて、もういさかいを個人個人が制御できなくなっている場面がちょくちょくでてきます。

【穏やかな故郷、爆発しそうな街】
この映画は、片方が理不尽な怒りをもっていて、なぜその様な感情を抱くことになっていくか法廷で掘り下げが行われます。故郷に関係がしています。そして、一度故郷にもどって一日を過ごす場面があるのですがこのときの様子が静かで安らぎに満ちています。対して、普段生活している世界は狭くて騒がしくいらいらで不満が爆発しそうになっています。

【決着】
故郷にもどった男、相手のつらい過去を理解した男、二人は二人だけであい片方が謝罪します。そして結局 訴えられた側が無罪で話は終わります。
原点になる静かな世界へ戻った二人は事態をうまく収束することに成功します。
この映画、冒頭に静かで穏やかな音楽が流れているのですが、勝手な解釈をすると何事もスタートは静かで穏やかであったと解釈しています。

【総論】
当初は穏やかで静かだった世界は、他者との交流の過程でいさかいが起こり、それが上手く収められず、当事者ですら制御できないくらいに大きくなってしまう事がある。では、それに対してできるのは何か?相手を理解しようと務めることと、原点になる世界「静かな故郷」に立ち戻ることなのかなと思いました。

ブログをやる上での障害

ブログを再開したものの、色々問題がある。

ハード面の問題

  1. パソコンない
  2. 体力が低く、活動が少ない

ソフト面の問題

  1. 書きたいテーマを、他人に読んでもらえるほど、勉強できてない
  2. テーマが「数学」「美術」「美食」「ミニマリズムてきなライフスタイル」と複数ありまとまりがない

【ハード面の解決】

パソコンは、数学の勉強用にハイスペックなやつを買いたいから、2019年末に購入かな。

体力は筋トレと有酸素運動と、ライフハックを駆使して、ブログを量産する生活サイクルを作り上げるかな。まずは実践と記録。

【ソフト面の解決】

勉強時間を徐々に増やしていく

活動量を、効率的なスケジューリングと予算配分で、増やしていく

まとまりの無さは、記事の分類ですみ分けするかな?

メモを取る=生活(生命を活かす)

今日から「静かな生活」を再開したいと思います。このブログは昔、作ったブログをそのまま流用しています。生活のテーマは変わらないので、過去記事は消さないつもりです。

部屋とかがごちゃついていて、美しい空間と程遠いので、まずは自分のやるべき事を書いて、それを実行していく。

[やるべき事を書き出す効果]:迷いが小さくなる

頭のなかだけで考えていると思考がごちゃついて、結局、何もせずに一日が終わることもある。思考を書き出すことで、思考がクリアになり、行動に迷いが少なくなり、様々な事をなせると思っています。

この「思考の書き出し」みたいなライフハックを通して生活を「美しく」「静かな」ものにして、これらを誰かと共有していきたいと思います。

基本的に「書く」=「思考の整理整頓」「思考の作品化」「生活(生命を活かす)」だと思ってます。

完敗。

東加古川駅近くにある中華料理屋、大和へ行って来ました。

皿うどんスペシャルに挑戦ッ!

嘘だろ…

もうね…完敗でした。

こんなに残してしまった…

お持ち帰りにしましたが、すげえ持ち帰り用パックに詰める手つきがなれていました。聞いてみると15年の歴史で完食した者はいないらしい。

恐ろしい盛りだ。

ただ、味は美味しいです。メニューもカレー丼とか色々気になるやつもあって、次は普通にいきたいです。

大和
〒675-0013 兵庫県加古川市野口町二屋127−1
079-423-1648
https://maps.google.com/?cid=3961208482706009080

俺たちには捨てられない

家族と生活していると、どうしても妥協しなければならない時はある。それはそれで仕方ない。

物を持つことは不安の解消の為だと感じるときがある。寒さに対する毛布だったり。機能が需要にあっている内は良い。ただ、あきらかに磨耗して機能してないのに「勿体ない」とか言って捨てれない事もある。

「勿体ない」って現状維持は、変化への不安だろう。植物のように、使用しない葉への栄養供給を遮断して落葉できない物に安心を依存する在り方な気がする。

じゃあ、無理矢理に家族のものを捨てられるか?捨てられない。不安な気持ちの代替を用意できない。ミニマリズムは、一種の覚悟だと思っている。自分の心と体を軽くするために様々なものを捨てる覚悟。捨てる覚悟を他人に強要するのはかなり乱暴で私にはできない。

Impression about “La Dolce Vita”

「甘い生活」フェデリコ・フェリーニの感想。1960年の映画。

ネタバレしています。内容メモは映画内容の備忘録です。

【感想】:華やかで空虚な生活は恐ろしい。

【考察】:主人公のマルチェロは色々なところに行ける。最新の芸能の世界、知的な文学者の集い、昔なじみのバー、悲惨な事件の現場。真剣に好きになってくれる女もいる。しかし、それらの全てが空虚な絵空事。各所の場面で様々な人物が登場するがすぐに消えていく。

アメリカから来た新進のグラマーな女優:シルヴィリアはいつも楽しそうだが二人きりになったときに言う「全てが上手くいかない」

貴族の美人:マッダレーナは「私は自分で決断したことがない」と嘆く。
知的な友人:スタイナーは「平和が怖い、見かけは平和でも裏に地獄があるようで…」と言って子供を殺して自殺する。
みな、安定した社会に支えられ生活しながらも…それは自分の力で勝ち得たものでないと知っていてどうする事もできていない。みな、意味を見いだせていない。
彼女と別れ、スタイナーの自殺の後、マルチェロはひたすら乱痴気騒ぎに興じる。めちゃくちゃに遊び、盛り上がる為には他人を傷つけたりもする。
物凄く、恐ろしい。虚無主義が恐ろしい。
伝統あるローマの邸宅も、実質が伴っていなければネズミや虫の巣になってしまう。
新進のファッション、芸能、知性、伝統的な美…どれも虚無に食い荒らされている。

じゃあ、虚無はどうやってかわせば良いのだろうか?生活を一つずつ積み上げるってことか?
ときどき、自然の音や自然自体によって周囲が頭を冷やしはしゃぎまわるのを止める描写がある。
登場人物はみな…虚無をはしゃぐ事でごまかしていた。一度、自分の中の虚無と向き合う事が必要なのではないか。
【結論】:虚無主義に蝕まれないように、はしゃいで自分の虚無をごまかすのはやめよう。(だいぶ昔から向かっているけど)虚無に向かい合おう。

【内容メモ】

ヘリで運ばれるイエスの像、それに手を振るマンションの屋上で日焼けしているビキニの娘たち。ヘリは華やかな街を通り抜けていく。レストランでは公爵の醜聞を追う記者が女をナンパしていた。華やかな町:ローマの華やかな生活を写している。
記者と女が、知らない女を拾い自宅まで送ってやる。拾った女は売春婦の様だ。そして、彼女はコーヒーを売春婦にねだる。売春婦の家は修理不全で水浸し。寝室に通されて彼女は記者を誘う。売春婦は空気を読んで外で待機。
女がどこかの部屋でふらついている。この女はエンマというらしい。記者が部屋に帰ってきてエンマを病院へ運ぶ。エンマは毒を飲んだらしい。

空港からシルヴィリアという女をたくさんの記者が迎える。アメリカの女優らしい。ピザで出迎える製作陣。場所を移して質問攻めにする記者陣。そのころ、記者:マルチェロは電話で痴話喧嘩していた。エンマは不安定そうだ。夜には帰ると約束する。

シルヴィアはローマの遺跡にはしゃいでいた。それを追う記者陣。追い付いたのはマルチェロだけ。その夜に早速、シルヴィアをナンパするマルチェロ。歌と踊りを楽しむシルヴィアを後にして席につき、ロビーという男と同席する。ロビーはシルヴィアと親交が有ったようだが彼女を侮辱する。怒ったシルヴィアをマルチェロが車で送る。二人きりになったときシルヴィアは嘆く「何もかも上手くいかない」と。帰りたくないというシルヴィアのため、マルチェロは女を頼ることにした。途中、野良猫を拾い牛乳を用意してくれと言い出すシルヴィア。買いに行ったら勝手に町を歩きだし、噴水で遊びだす。何か追い付く。そして、明け方にシルヴィアをホテルまで送ったらロビーがシルヴィアを叩き、マルチェロも叩く。

昼に、教会でスタイナーと会うマルチェロ。記事をほめてくれるスタイナー。オルガンで音楽を奏でる。

エンマとパパラッツォと共に車で移動。何かの事件のようだ。子供が聖母が現れた話し騒ぎになっている。子供は抑留されているようだ。見映えの良いようにポーズを演出する新聞社。すみで病気の回復を真剣に祈る母親。夜になり、信仰者、野次馬、記者。エンマは祈る。マルチェロが自分をずっと愛してくれたらと。そして、子供が解放され騒ぎになる。雨の中で祈る子供と、それにすがる病人。そして、子供が聖母のここに教会を立てよという命令を伝える。大騒ぎになりエンマを探し出すマルチェロ。そんな様子も写真に撮っているパパラッツォ。騒ぎでもみくちゃにされ子供がしんでしまう。

スタイナーの家に招かれるマルチェロとエンマ。芸術家の集まりの様だ。スタイナーは文学と報道が好きなようだ。イリスは言う「今を懸命に生きるのが大事」「3つの現実逃避、タバコ、酒、ベッド」。スタイナーが録音した自然音に興味を示すエンマ。それを流してみるとみな聞き入っている。子供が入ってきてその愛らしさにみなが微笑む。こんな家庭を持ちたいとマルチェロに寄ってくるエマ。無言で離れるマルチェロ。スタイナーへマルチェロは今の日常を変えたいと告白する。スタイナーも自分自信の未熟さを苦々しく告白する。自由に書け、ファシストよりの新聞で書くよりはその方が良いだろうとマルチェロに忠言。

「時々夜になると暗さと静けさがつらい。平和が恐ろしい、何よりも平和が怖い、見かけは平和でも裏に地獄があるようで…子供の未来を考える。未来は明るいというが、見方によっては電話1本ですべてが終わるかも。情熱や感情を超えた所で芸術の調和に生きるべきだ。魅惑の秩序の中に…互いに愛し合い時間の外で生きるべきだ。超然と」という

しつこい電話にうんざりするマルチェロ。記事を打ちながら、美人のウェイトレス:パオラと話をする。

夜、マルチェロは父と会う。母からの手紙を受けとる。自宅の電話の女性は家政婦だと誤魔化す。父をナイトクラブに誘う。ナイトクラブで踊り子を交えて酒と会話を楽しむ。悲しげなトランペットの音を聞き入る一同。冗長とした話が続く。踊り子とワルツを踊る父。何か踊り子と仲良くなっている父。そして、帰宅。父と別れて踊り子たちを送る。帰ってみると父の様子がおかしいと踊り子が訴える。父と二人で話をする事に。父はam5:30の列車に乗ろうとするが止める。どうしても帰宅したいという父。そして父は帰る。

カフェで男同士が喧嘩しているなかへマルチェロ出現。何かモデルの女といっしょにどこかへいく。途中、貴族っぽい男に車に乗せてもらいどこかへ行く。何だか貴族っぽいパーティーに参加する。暗い一室にマッダレーナにつれられ真面目な話を持ちかけられる。結婚したいと。貞節な妻になりたいと。マルチェロも今夜は愛していると。マッダレーナは「自分では何も選んでこなかった」と嘆く。そして、途中にやってきた男と情事に入っていく。古い家を探検していく遊びがはじまる。由緒ある屋敷だがネズミが巣食っている。遊びでやっていた心霊術で女が一人錯乱する。そして、朝、みんな頭が冷えて家を後にする。

どっかの夜道、エンマに愛情を見せてくれないと怒られるマルチェロ。怒りのあまり、出会わなければ良かったと怒鳴ってしまうマルチェロ。マルチェロは自由に生きたい、束縛されのはごめんだと怒り、エンマと別れる。車でさっていくがまたもどってくる。家で一眠りするとどこかから電話が

子供二人を殺したあと、スタイナーは自殺した。警察に事情を聞かれる。まだ何も知らない婦人を警察といっしょに迎える事に。不幸の知らせを聞いてもその写真を撮ろうとする新聞記者。

夜中、どこかの金持ちの家を訪れるお調子者の連中。パーティーが勝手に開かれる。マルチェロは広告業をスタートした。お調子者連中の仲間になったようだ。家の主が帰ってきて出ていけと言ったが、マルチェロは何かに苛立ち悪ふざけをやめない。悪ふざけで人を傷つけるが何も生まない。

朝、静かな林を歩み浜辺へ向かう。地引き網に巨大なエイが捕まっていた。エイはこちら側をじっと見つめている。いつかの浜辺の女の子:パオラと再開する彼女は優しく微笑むが何を言っているか分からない。しかたなく別れる。

Impression about The Godfather

映画ゴッドファーザーの感想です。

【内容】

ニューヨークのドン・コルレオーネの下には様々な悩みや相談が持ち込まれる。
復讐や仕事の上での便宜。そして、それは彼への友情、忠誠を代価として必要とするもの。そんな感じでコルレオーネファミリーは発展していた。
彼の息子の一人、三男マイケルはそんなファミリーの仕事を嫌い、かたぎの彼女:ケイとつきあってかたぎの仕事をしていた。

あるとき、ソロッツォという男を通じて麻薬取引の話がもちこまれる。彼の後ろにはタッタリアファミリー
彼はタッタリアファミリーが取り分の保証をすると好条件を示す。しかし、ドンは麻薬を嫌いこの話を断る。
そして、ドンは襲撃されて重体に…おそらくタッタリアファミリーによって。
それに駆け付けるマイケル。とっさの機転で殺し屋から父と見舞客を守る。
顧問弁護士のトムがソロッツォの息をかかった警察を追い払い、警護を付けて事なきを得る。

長男ソニーがこの件で、タッタリアの二代目を殺してしまう。
その件で、マイケルが刑事とソロッツォと会う事になる。マイケルが奴らを殺しに行くというが…周りはマイケルが堅気なのを配慮してなだめる。
しかし、クレメンザがしかたなく殺し方とその後の対応を教える。5年ごとにファミリー間の争いは起こるものだ仕方ないと言う幹部の一人:クレメンザ。
そして、マイケルは二人を殺し、ほとぼりが冷めるのを待つことに。

マイケルがほとぼりが冷めるのを待つ間、抗争が続き…ドンは退院。
マイケルは外国(シチリア?)に身を隠していた。そこでアポロニアという娘と出会い、結婚してしまう。
マイケルの彼女にはトムが話をして間を持たせていた。
そのころ、ソニーは妹が家庭内暴力を発見。義弟をボコり倒すがやっぱり家庭内暴力続く。そのことに怒りつい護衛もつけずに外出したところを襲撃されてしまい、命を落とす。
ドンは復讐を禁じ、五大ファミリーの会合を開いて戦争を終わらせようとする。
そして、冒頭で復讐を依頼してきた葬儀屋に息子の死体を綺麗にしていやってくれと依頼する。

兄ソニーの訃報は、マイケルに伝わる。そして…追手の罠にアポロニアが代わりにはまり死んでしまう。
麻薬について断固とした拒否反応を示すドン・コルレオーネ。しかし、周囲の状況が許さず仕方なしに条件付きで認める。
マイケルへの追手を止める事も認めさせる。黒幕はバルジーニファミリーと見抜く。

マイケルは帰還し、父の仕事を受け継ぐ。父は相談役となる。そして、彼女に求婚する。
マイケルはベガスに移転する計画を進める。
どんな大物にも踊らされる事はなかったと断ずるかつてのドン。だが、マイケルにだけは継がせたくなかったと嘆く。バルジーニと会席を提案するものは裏切り者だと忠告。
そして…かつてのドンは孫とトマト畑で遊んでいたら、死んでしまう。

葬儀のあと、部下のテシオからバルジーニファミリーとの会席を提案してくる。
そして、マイケルの妹の子が洗礼を受けている間、四代ファミリーのボスがマイケルの策により次々と殺される。
マイケルは妹の子の名付け親(ゴッドファーザー)になり、裏切り者だった妹の夫を問い詰める。
夫婦喧嘩はソニーを殺すためにわざと起こしたと吐かせて、殺す。
取り乱す妹、動揺する彼女:ケイ。そして、「殺したの?」と問うケイにあっさり否定して嘘をつく。
最後は新しいドン・コルレオーネに部下たちが忠誠を誓い、トムが扉を閉めておしまい。

【感想】
抜き差しならない状況というのは存在する。比較的に正しい心をもっていても、悪とされる手段を使わざるを得ない状況というのは存在する。

【考察】
ドン・コルレオーネの事を考えると…彼は平和と愛を望んでいたように見える。そして、どういう経緯か知らないがドンになった。そこで出来る最善をつくしていた。
・暴力を望んでいない
冒頭の葬儀屋の娘を襲った男への復讐は、節度を持った部下に任せている
・死を望んでいない
自分の長男を殺されても、部下や息子に復讐を禁じている。
・家族愛を求めている
結婚式で写真をとるときに、マイケルを気にしたり…長男の死で悲しみ、葬儀屋に求めた対価が長男の死体の修復。
ヤクザものというよりも、互助組織や自警団のリーダーって感じはする。

後を継いだマイケルは以下の事をした。
彼は、神の前で潔白を誓いながら…部下に指示をして対立する組織の要人を皆殺しにしている。
そして名付け親(ゴッドファーザー)になった子供の父親もついでに殺してはいる。
あっさり彼女に嘘もついている。

それでもマイケルは父と同じく平和と愛を望んでいると推測する。
彼が後を継いでも、父の存在で初めて自分のファミリーは他のファミリーと対等でいられた。
その対等さも、父が弱っている事でほころびが見えていた。その事例として以下の二つがあげられる。
・次男がカジノで冷遇されていた
・部下から他のファミリーからの嫌がらせを訴えられていた
ここからは推測だが…マイケルは父の死後に、一気に攻め立てられると判断。そうなる前に他のファミリーを襲撃したのだと。

こっから考えられるのは、状況によって悪を行ってしまう事はあるのだと。
ならば、最善の状況である悪が存在しないって事が不可能なら、悪がやってくるなら…
悪を遂行せざるを得ないのではないか?
無駄な戦いを避けるため悪を背負い、悪を最小限行うべきだと。
ときどき、この映画では何かを実行しようとするときに震えや躊躇いで手間取り緊張感が走る場面がある。
あれは、映画の演出だろうが…悪を背負いきれずにいるときの迷いから不安や恐怖しているのかなとは思う。

【結論】
この世は悪と悲惨に満ちている。ドンが「油断するな」と言ったように、油断せず…必要ならば悪を行い、悲惨さを最小限に抑えよう。